2019 年初的寒暄
黄檗文化人士元旦讲述新年吉祥物"开运达摩"的中日黄檗渊源故事
【福建福清1月1日(鄭松波)】
“在新年元旦这一天,很多日本民众会到寺院里求一尊新年吉祥物‘开运达摩’讨个好彩头,这已经成为日本过新年的习俗,而这习俗与流传于中国的黄檗文化有关。”元旦这一天,福清黄檗文化促进会会长林文清向记者讲述了一段有趣的中日黄檗历史故事。
位于日本群马县高崎的少林山达摩寺是“开运达摩”的发源地。达摩寺开山300年,中国僧人心越禅师为开山祖。心越禅师于1676年来日本, 1697年在此建寺。日本天明年间发生饥馑,达摩寺住持以心越禅师的画的达摩坐禅像为原型,教人制作"开运达摩",作为地方副业收入度饥荒,是为高崎制作达摩吉祥物之始。
高崎从江户时代起就以生产“招福达摩”而闻名,每年生产达摩约150万尊,产销量居日本第一。高崎街头,达摩的形象随处可见,达摩吉祥物的商店一家挨一家。
达摩不倒翁吉祥物大体分为摆设用和还愿用达摩,前者都画有眼睛,后者由自己画眼,先画上左眼,大愿实现时再画上右眼(取太阳升东方之意),名为"开眼";对还愿用的"祈愿达摩"求什么愿都行,家内安全、商贸繁盛、事业有成、选举必胜、喜结良缘、五谷丰登……一般在年初寺院里的"达摩市"上求购,达摩不倒翁放在家里一年,待到下年初带到寺院或神社里火化还原,被视为"通向神灵的信件"。
群马也是担任过日本首相的福田赳夫、中曾根康弘、小渊惠三、福田康夫的选区与故乡,他们当选后为“必胜达摩”开眼的情景曾给日本人留下深刻印象。
东皋心越禅师,金华兰溪人,是杭州永福寺历史上的一位传奇高僧。他东渡扶桑,先后在长崎东明山兴福寺、京都黄檗山万福寺、水户岱宗山天德寺等寺院。他传播诗文,书画,篆刻,兴琴道.被日本奉为"篆刻之父","近代琴学之祖",艺僧之名广传天下。他是中日文化交流史上一位划时代的重要人物。
林文清介绍说,明末清初时期,东皋心越、隐元隆琦等一大批中国禅僧东渡日本,在日本传播中华文化,为中日文化交流做出了不可磨灭的贡献,在日本宗教界、文化界享有很高的地位。“黄檗文化触及日本生活中方方面面。我们要挖掘更多的黄檗故事,让更多的民众了解这些历史,拉近两国人民心灵距离,促进两国友好。”林文清说。
2019 年頭のあいさつ
縁起だるまの少林山 (高崎の達磨寺)
【福建福清1月1日(鄭松波)】
「初詣で はお寺に出かけ、縁起だるまを買い求める。これは日本のお正月ではおなじみの光景である。実は、この習慣の起源は黄檗宗のお寺である」。黄檗文化促進會の林文清会長が本紙に語った。
群馬県高崎市の少林山達磨寺は300年の歴史がある。この寺が縁起だるま発祥の地である。中国僧・心越が1676年に来日し、1697年に達磨寺を開いた。当時、天明の大飢饉が人々を苦しめていた。心越和尚は自らが描いた達磨の絵を元に縁起だるまを考案した。人々は和尚の指導でだるまを作り、副収入を得た。こうして人々は飢えから解放され、縁起だるまは高崎のシンボルとなった。
江戸の昔から縁起だるまと言えば高崎であり、年間の生産・販売数は150万で日本一を誇る。街のいたる所にだるまが飾られ、多くの店でマスコットの役を果たしている。
転んでも起き上がる縁起だるまは評判がよい。購入すると、願いを込めて左目を入れる。左は東(日の昇る方向)を意味する。その願いがかなえば右目を入れる。願い事は「家内安全」「商売繁栄」「事業成功」「選挙必勝」「良縁祈願」「五穀豊穣」など、さまざまである。お正月のだるま市で買って1年間飾る。翌年のお正月にはお寺や神社に納め、「お炊き上げ」をしてもらう。
政治家が選挙に当選した時、必勝達磨に目を入れる。今やおなじみの光景である。達磨寺は福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫の歴代4首相の選挙区にある。
東皋心越は浙江省の人であり、金華市の浦江県(今の地名では蘭渓市)で生まれた。杭州市の永福寺の歴史を代表する高僧である。亡命して長崎の東明山興福寺に住した後、京都の黄檗山萬福寺を訪ねた。水戸では岱宗山天徳寺を開山した。詩文、書画、篆刻、琴楽にも優れ、「篆刻の父」「近代琴学の祖」などとよばれた。両国の文化交流に多大な功績を残した芸僧としても有名である。
「明末、清初に東皋心越、隠元隆琦らの禅僧が来日して中国の文化を伝えた。彼らが両国の文化交流に果たした役割は大きく、その功績は日本の宗教界、文化界の中で燦然と輝いている。黄檗文化の影響は日本人の生活習慣の随所にみられる。これからも、私たちはさらに多くの事例を調査し、その歴史を人々に伝えていく。その活動が両国の信頼を深め、友好を促進すると信じてやまない」。林文清はそう語った。
原文⇒ https://mp.weixin.qq.com/s/Cai-mFRRUWJUtEDdxBxQsQ
写真⇒ 中列右から2目が林文清会長。2018年5月12日
